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HR/HM温故知故
かつて一世を風靡したHR/HMについて、私の個人的な思いいれ、独自な見方、ニッチな情報、そして映像を提示していきます
さらばダグ.アルドリッチ!ありがとうWHITESNAKEでの軌跡!
doug aldrich


いつか忘れたが、以下のWHITESNAKEのベストアルバムをamazonで発見したので、それ次第すぐに注文して買った。

こういう衝動に駆られるバンドはまずない。

私はとことんWHITESNAKEが好きなんだなあと思う。

このベストアルバムを見ると、ジャケットにロシア語の文字が並んでいる。

おそらくロシアで発売されたものだろう。

しかしこれまで出されたベスト盤とは趣が違う。

2枚組になっていて、1枚目は2008年のダグ.アルドリッチが加入してから初めて作ったアルバムの2枚からのを中心に選曲され、最後の方にはCOVERDALE/PAGEからの曲がいくつかちりばめられている。

そして、2枚目はお決まりの87年のアルバムやその次のアルバムや84年のアルバムからの選曲のほかに、初期WHITESNAKE
曲を6曲ほどが収められている。

この意図は何か?

良くはわからないが、ダグ加入後のアルバムを世間にアピールするのが目的だったのだろうか?

そこを詮索しても仕方がない…(苦笑)

でも、ダグ加入後のベスト曲のチョイスが初めのCDの多く収められているので、ダグ加入後のWHITESNAKEの魅力を堪能したい人にはうってつけだろう。

しかし、2003年WHITESNAKEが突如復活すると聞いた時には、ものすごい歓喜にむせんだものである。

whitesnake03.jpg
WHITESNAKE 2003

このバンドほど私を虜にしたバンドは他にないからだ。

同じシングルでも国によってジャケットや収録曲が違うので、レコードやCDで店頭に並んでいるのをみたらとっさに買いたくなってしまったものである、90年の昔から。

tooh

それが、97年を最後に解散すると聞いて、悲嘆にくれたのだ。

しかし、それから6年後見事に復活してくれたのだ。

その時は、非常に驚いたものである。

あの元LION~BAD MOON RISINGダグ.アルドリッチがギタリストに据えられると聞いてこれにも驚いたのだ。

このBAD MOON RISING91年LIONの盟友だったカル.スワンとともにデビューした時には、非常に素晴らしいアルバムを制作して多くの人を喜ばせてくれた。

Bad Moon Rising 91
 BAD MOON RISING

私もこのバンドのデビュー作には大いに感嘆させてもらったものである。

どの曲も素晴らしく、そのアルバムを知らない人に、「これがこのバンドのベストアルバムだよ!」と偽っても疑いを持たないほど、佳曲揃いの超名盤なのだ。

この時だされたシングルアルバムや、このアルバムのヨーロッパでの企画盤もいろんな店で手に入れることもできたし、日本だけの企画アナログ盤だって2枚も買いそろえてしまったものである。

しかし、こういう事をすると後になってただの場所取りになってしまうことに気づき、のちに中古盤屋に売ってしまうものだが(笑)、ことBAD MOON RISINGのファーストに関しては、そういう気にいまだかつてなったことはないのである。

それが偽らざる私の気持ちである。

デビューアルバム
デビューアルバム

しかし、93年のセカンドから盟友カル.スワンのセンスに凋落が見え始めてしまうのだ。

当時ハードロック界に席巻し始めたグランジ風の音楽に傾注してしまうようになってしまったのだ。

英国風のきらびやかさを売りにしていたカルのバックグランドにこういう音楽を融合させても上手くいくはずがなかったのだ。

バックグランドがヘヴィメタルであるならば話は別であったが…。
KAL,DOUG


BAD MOON RISINGはデビュー当初は日本だけの発売であったのだ。

要するに日本が主要なマーケットであったのだ。

しかし、それゆえに大々的にこのセカンドも雑誌等でプッシュされていたが、思うようなセールをあげたとは言いがたい。

この時の公演は、東京だけでいえば川崎クラブチッタで3回だけであった。

デビュー当初は2300人弱収容の中野サンプラザ2回が告知されたが、すぐに売り切れてしまった。

それで突如1600人収容の渋谷公会堂での公演が追加公演にされたのだ。

どれだけデビューアルバムが受け入れられたがわかろうというものである。

それゆえにというべきか、91年『BURRN!』の人気投票の新人部門では、多くの強豪を抑えて見事チャンピオンになるのである。

それについて私は「当然だろう!」と胸を張って思ったものである。

しかし、セカンドアルバムでは、ミドルテンポで暗めのメロディが闊歩し、どう考えてもこのバンドの特性を活かしているとは言えない代物に変化してしまったのだ。

95年に発表されたサードアルバムでも同様の不満が残る作品に仕上がってしまったのだ。

デビューアルバム収録の佳曲はやはりシングルになった“Full Moon Fever”だろう。

BMR.jpg

勿論、それ以外にもあのアルバムには、多くの佳曲がぎっしり詰まっている。

サードアルバム発表後、カルに『BURRN!』のインタビューアーが「“Full Moon Fever”のような曲を何故書かないのか?」という質問に対し、カルは「ああいう曲を書けといわれれば書くことはできる。しかし俺は作曲家として成長している。成長しなければ死んでしまう。」という興味深い回答をしていたのを覚えている。

その「成長」という単語をどう定義するかは、評者によって変わってくると思うが、私は作曲家としての成長とは、より多くの人を魅了できるようになることであると思うし、それがそのジャンルの流行りすたりゆえにより多くの人を魅了できなくても、一聴して大人びた、と人に思わせるものに変わっていなければ、成長とは言えないと思うのだ。

カルがセカンドやサードでしたことは成長ではなく、明らかに後退であり自己満であった。

私は、ファーストアルバムの時は、すぐにコンサートに行くことを決め、その時の素晴らしさは27年たった今でも胸を去来するのだ。

しかしセカンド、サード共に私はこのバンドのコンサートに足を運ぼうとは思えず、実際に行ってない。

その思いと同じくした人は多くいた。

東京公演のクラブチッタでは2回なされたようだが、最終日の方は客が4割しか入っていなかったようである。

それは当時の『BURRN!』をみればわかる。

そういった自己満のアルバムを連発したこのバンドには行き先が不透明になり、あえなく解散を余儀なくされた、というかカルたちの苦渋の選択だったのかは、当事者でない私には真実はわからない。

そして、3枚のアルバムからチョイスしたベストアルバムが発売されたのだ。

これを聴くと、ファーストからの光る曲とともに聴けば、それなりにいい曲であることは分かったが、やはりダークでミドルの曲を作ることに拘泥するべきではなかったのだ。

これは本心からカルたちのしたかったことなのか、あるいはCD会社からの圧力からなのかは、正直な話は分からないのだ。

そういった事の真実は得てしてミュージシャンは本心を話さないのが常である。

でも私の本心としては、自分が本音からしたい!と思えるミュージックをすべきであると思うのだ。

私のこれまでの人生から、やはり人と比べてではなく、すぐにこれがしたい!と思えるものをすることで人はハッピーな気分になれるということがわかったからだ。

カルは、LION時代から英国風のきらびやかなメロを活かした曲を作ってきた。

ライオン
  LION

レーベルの問題で、その音楽性を前面に出した非常に出来のいいアルバムを出しても、日本以外で売れることはなかったのだ。

でも日本で公演をすれば、2000人前後のキャパで必ずできたのだ。

その期待を一身に背負い、LION解散後にBAD MOON RISINGを結成し、デビュー作では素晴らしいアルバムを作っても、セカンドやサードでは、聴き手のことを考えずに自己満なアルバムを出しては、主要なマーケットの日本からもそっぽを向かれて当然である。

しかし、自分が心からしたいことでも、マーケットを考えずにアルバムを作っても意味がないのだ。

演奏する人と聴く人の両者があって初めて音楽は成立するからだ。

それゆえに、解散が決まってもそれほど多くの人を落胆させたとは思えない。

その解散については話題にならずに時が過ぎていったように感じる。

そして、1999年にダグはBURNING RAINを結成する。

dagutyan

このころは、ハードロック全体に気力がみなぎっていなかったし、不況のさなかにあったので、あれだけ好きだったBAD MOON RISINGのギタリストのバンドであっても、チェックすることもなく、また買わずにいた。

しかし2015年あたりにTOWER RECORDSのサイトを見ていたら、BURINIG RAINのファーストアルバムに欄に「残りわずか」という表示が出ていたので焦って注文し、聴いたのである。

しかし…よくはなかったのである。

悪くはないが、このバンドの音楽に私を虜にする要素はなかったのである。


それから2枚のアルバムを出しているようだが、それらを買おうという気にはなれないのである。

ダグは今でもいろんなバンド活動をしているが、隙間を縫ってこのバンドを活動させ、フェスに参加したりしているようだ。

だが興味は出ない。

ギタリストは2タイプがあって、自分1人だけで素晴らしい曲を作れるタイプと、パートナーを得ることではじめて素晴らしい曲を作れるタイプがある。

ダグは明らかに後者のタイプだ。

彼がイニシアティヴを握って作ったBURNING RAINであるが、それではどうも中途半端な印象がアルバム全体を覆っているのだ。

ゆえに聴いていても全然興奮がなく、時間がむなしく過ぎるだけなのだ。

私は、このBURINIG RAINのアルバムはすぐに中古盤屋に売った。

またこのバンドのアルバムが出ても買わないだろう。

そして2003年に、WHITESNAKEが復活するに際し、ダグがリードギタリストとして加入することを『BURRN!』で知って驚いたのだ。

それで、「妥当な選択だ!」と思ったのだ。

それはBAD MOON RISINGの音楽性にはWHITESNAKEに通じるヴァイヴが多く散見されるからだ。

この音楽を奏でるバンドミュージシャンには、WHITESNAKEの音楽性にも共通するものが多くあるのだ。

WHITESNAKEとして通用するリフであったり、雰囲気であったり、味であったりするが、BAD MOON RISINGのデビュー作に収録の“Old Flames”というバラードは、WHITESNAKE“Is This Love”そっくりであるが決して亜流ではない。

このそっくりなバラードをWHITESNAKEのメンバーとして奏でることになったダグはどういう気持ちだったのだろうか?

気になるところだったが、それに関するインタビューがなかったのが残念でならなかった。

しかし「合うだろう」程度の気もちでしかなかった私だが、のちにダグが要因になって、凄くWHITESNAKEにのめり込ませてくれるとは思わなかったのである。

ダグを含むメンバーで当然、日本にも来日公演をしてくれたWHITESNAKEであるが、この時の公演内容を収めたブートレッグCD-Rを買って聴くや、私は何度も何度も聴きこんでしまうことになる。

これまでこのバンドのブートレッグは必ず買って鑑賞してきた。

しかし、鑑賞しても3回くらいがせいぜいであった。

ほんの気が向いたときに観るのが通例であった。

しかし、今回に限っては何回も何回も聴いてしまう。

それだけでなく、自分がいった公演ではない公演のモノも何枚も買ってしまった。

日本公演のももちろん、イギリスでのやアメリカでのやといった感じで、この年のだけでも10枚以上は買ってしまった。

mn2003

自分でも理由が当初わからなかった。

お金ができ次第、どんどん買ってしまうのだ。

とにかくこの年のWHITESNAKEのブートレッグが欲しくてたまらなくなってしまったのだ。

この年に行われた長野公演のモノも買ってしまった。

あまりに買いすぎで、鑑賞しけれないできないことを悟り、この長野公演のモノを、長野に住み、この公演にいったという親戚がいるという友人に頼んで買ってもらったのだ(笑)


こんなに買ってしまった理由は何故か?

ひとえに、ダグのギターソロと、フィーリングのバンドでのマッチさであろう。

doug

WHITESNAKEのアルバム、特にWHITESNAKEアルバムでのソロはすさまじく、そして素晴らしい!

白蛇の紋章
WHITESNAKE

ギターマニア、ハードロックファンならば誰もが聴いて一発で虜にしてしまう魅力を備えている。

それを、あのアルバム発表後に招集された2人のギタリストはライヴにおいて再現できず、自己流のソロに変えざるを得なくなったあ、あるいは自己流に意図的に変えたのかはわかりかねるが、変えられたソロは私には残念でならなかったのだ。

とくに“Bad Boys”“Still Of The Night”“Crying In The Rain”“Is This Love”といった名曲で奏でられている超A級のソロは,アルバム通りに奏でれられなければ納得がいかない。

それが不満で私はこれまでのブートはそんなに観る気にはなれなかったのだ。

その不満が解消されたからこそ、私は2003年のブートはたくさん買ってしまったのだ。

それは単にソロが、あのアルバム通りに奏でられたというだけでなく、このバンドの曲の魅力を最大限に活かすフィーリングをもっていなくては観る気にもなれないのもいうまでもない。

ダグはそういう魅力を有したギタリストであるということも明記したほうがいいだろう。

2003年にWHITESNAKEに加入する前は、ダグはDIOに加入していた。

その時のライヴをみてデヴィッド.カヴァーデールWHITESNAKEに加入するように要請し、それをダグは飲んだのだ。

そのデヴィッドの目論見は見事に当たっていたというほかない。

DOUG(whitesnake).jpg


この2003年は、バンド復活をアピールするのが最大の目的であったがために、あのWHITESNAKEアルバムからの選曲を中心に演奏がなされていた。

その選曲もさることながら、その曲をこなすプレイヤーの腕の器量がまたとてつもなくいいのだ。

最大限あのアルバムの曲を活かすのに適量な技術があるのだ。

そのもっともなプレイヤーがダグ.アルドリッチに他ならない。

そのプレイに聴きいってしまったのは、あのアルバムで行われているギターソロを、そっくりそのままプレイしてくれているからだし、伴奏においてもやはりあのアルバムの曲を最大限活かすプレイをしているのだ。

これは瞠目すべき能力だ。

その次の年には、カヴァーデールDEEP PURPLE時代の名曲であり、WHITESNAKE結成後には一切されていなかった“Burn”がなされファンを大いに喜ばせた。

この年には、WHITESNAKEの初期の名曲の数々が選曲されたが、それらを当時のまま演奏されては、速弾きが当たり前になった現代のヘヴィメタルキッズにはアピールできない。

そういったキッズにもアピールできるような伴奏やソロのアレンジは、プレイヤーの技量に大いにかかっている。

やはりそこでもダグその他プレイヤーたちは素晴らしい技量を発揮している。

ahhowasna14

そう思ったファンは多くいたようで、この年のハマースミスアポロでのライヴの模様はオフィシャルDVDとして発売され今も入手可能であるし、このDVDにはとことん感動させてもらった。

その後、ダグ2013年までこのバンドに加入していた。

それまでアルバムやライヴ映像をいくつか出しているが、どれも素晴らしいものである。

それまでの、素晴らしい音楽を手っ取り早く堪能したい方には、このベストアルバムは非常にお勧めである。

このメンバーでは2008年にまずアルバムが発表され、ツアーも敢行されたが、この期のライヴブートレッグはどうしてか劣悪なものが多く、その前期の映像ものばかりを観てしまい、この年のアルバムは聴かないことの方が多かった。

しかし今、このアルバムを聴いてみると、佳曲が多いのに気が付く。

このアルバムには、ダグは全曲で作曲に参加する。

good to be bad


このアルバムで代表的なのはBest Years“Lay Down Your Love”“Can You Hear The Wind Blow”などであるが、これらの楽曲群の良さの再認識をしたのみならず、他の収録曲のうちいいものがたくさんちりばめられていることに気づいた。

その事情は2011年に発表されたアルバムFOREVERMOREでも同様であった。

やはりブートではいいものが少なかったので、そのアルバムは聴かずじまいで終わることが多かったが、今このベストアルバムを聴いて、そのアルバムからの曲を聴き直してみると、いい曲が並んでいたなということに気づくはずである。

ダグが加入してからの2枚のアルバムには、ちょっとファンキーな面が出てくる。

これまでのWHITESNAKEには、そういう面はなかったし、これまでのダグにもそういう面はなかった。

しかし突如そういう面が出て、面食らったのだが、それでもこのバンドの良さを壊していることがないので、それにも驚くだろう。

新境地を開拓したような感じであった。

RATTスティーヴン.パーシーと元CINDERELLAフレッド.コーリー93年ARCADEを結成し、その音楽性はRATTCINDERELLAから醸し出されるものとは全く異なるものであったので驚いたが、それでも新境地を開拓し、それでいて佳曲に溢れたアルバムであったので私は大いに喜んだものである。

そんな感覚に近いのだ。

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  ARCADE

これまでのWHITESNAKEからは想像できない部分が大いにあったが、それでも佳曲が多いので、つい聴き入ってしまう…そんな感じである。

ファンキーであるが、それでいてブルーズを活かしたブリティッシュバンドの良さを損なうことがない。

また、大河ドラマのエンディングテーマでも使えそうな、壮大な気宇を有したFOREVERMORE収録の“Forevermore”には誰もが感動するだろう。

この楽曲は奇想天外であるのと同時に、ものすごい悦に入らざるを得ないドラマ性がこもっているのだ。

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こういった佳曲の数の多さとWHITESNAKEの音楽性にフィットしているということを考慮に入れれば、この先ダグに対する期待は多大なものであった。

このアルバム発表後、JOURNEYTHUNDERとのドッキングツアーを敢行したり、また2013年にはブラジルのMONOSTERS OF ROCKセカンドビルとして参戦するなど順調にツアーがなされていった。

monster2013


ダグは、多大なる才能を持ちながら、LION時代にはレーベルの問題で、BAD MOON RISINGでは音楽性の選択の間違いで大きなセールをあげることがなく、ゆえにコンサート会場も小さなものかあるいは中級がせいぜいであったが、2003年以降のWHITESNAKEでは、さすがに全米だけでミリオンに達するようなアルバムを出したバンドであるだけにコンサート会場はアリーナ級がほとんどであっただろう。

漸くその実力を多くの人に認識させる機会に恵まれたのだ。

そのままいってくれればよかったのだが、そのMONSTERS OF ROCKを最後にダグはバンドを脱退してしまう。

理由は、バンドに対するアティチュードの違いである。

このバンドに対して、デヴィッドは100%の献身を求めたが、ダグはそこまでの献身は家族の事情もあり無理であるということであり、やむを得ず脱退するしか道はなかったのだ。

しかし悪感情はデヴィッドにはなく、加入してからのダグは、デヴィッドには感謝の気持ちでいっぱいだというインタビューをしている。

脱退してからのダグは、グレン.ヒューズのライヴに参加したり、REVOLUTION SAINTDEAD DAISIESといったバンドを結成し、コンサートも敢行している。

気まずいなと思ったのが、2016年LOUD PARKWHITESNAKEヘッドライナーに据えられた日に、DEAD DAISIESが参戦したのだ。

loupar16
LOUD PARK 16』

その時、DEAD DAISIESには、WHITESNAKEを以前クビになったマルコ.メンドーサ(b)やかつてWHITESNAKEに参加したが自ら辞めたブライアン.ティッシー(d)も参加したのだ。

これは誰もが気まずいと思うだろう。

ドレッシングルームでデヴィッドとばったりなどという事態は…。

事実はどうだかわからない。

deaddaisies
 DEAD DAISIES

しかし、主体的にこのバンドに入ってくれと懇願したダグの脱退を受けてデヴィッドがどう思ったかは誰もが気がかりになったはずだが、ダグ脱退後のデヴィッドのコメントは一切なしである。

そのまま、バンドにはジョエル.ホークストラが加入し、これもまたこのバンドにフィットしていることを天下に知らしめることにたのは間違いない。

しかし、ダグ.アルドリッチWHITESNAKEに残した軌跡は非常に有意義なものであったことに違いはない。

スタジオアルバムの売り上げにおいては往年のWHITESNAKEのような記録を残せていないが、それは効果逓減の法則が働いていることで、どのバンドでも共通することであって、ことさらダグ加入後のWHITESNAKEだけを咎めることではないのだ。

しかし、ダグ加入後のオフィシャル映像またはブート映像を観れば、最大限このバンドの良さを引き出すことに貢献できていることには間違いない。

これだけでも素晴らしい軌跡である。

称賛し称賛しても足りないくらいである。

dag.jpg


その内容について、スタジオアルバムから見ていきたい人には以下のベストアルバムはうってつけであると思い、お勧めしたい。

その他、興味のある人は、2003年以降のオフィシャル映像も重ねて鑑賞していただきたいものである。

●ベストアルバムは以下よりどうぞ!
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