HR/HM温故知故
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日本盤未発売のWHITESNAKEのデビューアルバム『SNAKEBITE』!
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 WHITESNAKEデヴィッドカヴァーデールDEEP PURPLE解散後、78年に結成したバンドである。

 この年に彼の初の娘も生まれた。

 なので、WHITESNAKEのキャリアと彼の娘の年齢は一緒なのである。

 74年に彼がGOVERNMENTというバンドに属していたが、DEEP PURPLEのキーボディストだったジョンロードの目に留まり、彼から「イアンギランとロジャーグロヴァーが脱退したらバンドに来い」と言われ、その通りその2人が抜けて、オーディションを受けて彼の加入に事が運んだのである。

 その加入時に作ったBURNアルバムは今も語り継がれるハードロックの名盤であり、今も当然入手可能であるし、日本を代表するハードロック雑誌のBURRN !』の原題になったのは言うを待たない。

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BURN

 しかし、2枚のアルバムを制作し、ツアー終了後にはバンドの顔であったリッチーブラックモアが脱退し、代わりにトミーボーリンが加入した。

ボーリン
トミーボーリン

 そのリッチーという偉大なるギタリストの後釜というプレッシャーに耐えられず、トミーはドラッグに手を出してしまう。

 その時のライヴCDやライヴDVDは出ているが、中には酷い出来のもある。

 ドラッグのせいで、腕が正常に動かなくなり、ギターが思うように弾けず、そのギターパートをキーボードに肩代わりしてもらう場面もあった。

 それが、『LAST CONCERT IN JAPAN』である。

last 76
LAST CONCERT IN JAPAN

 これは悪夢のライヴ盤と言っていいだろう。

 しかし、問題はそれだけでなく、バンド内のエゴが表面化し、ギターもキーボードもドラムも、目立ちたがり屋になってソロを弾きたがり、シンガーもエゴを丸出しにして歌いたがっていた。

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  DEEP PURPLE 76

 それで、4~5分ならば素晴らしい曲が、15分から18分くらいの曲に様変わりしてしまっていたのである。

 この後期DEEP PURPLEのライヴは、まるでプログレッシヴバンドであった。

 その様相に様変わりしてしまったバンドに愛想をつかし、デヴィッドが脱退、そしてどのメンバーもバンドを脱退してDEEP PURPLEは解散した。

 その時、トミーボーリンと一緒にバンドを結成しようとしたのがデヴィッドであった。

 しかし、そのトミーが麻薬の過剰摂取で還らぬ人となってしまったのである。

 しかし、惜しいギタリストをなくしたものである。

 そのトミーが弾いたアルバムであるCOME TASTE THE BANDは、非常に素晴らしいアルバムである。

come taste the band
COME TASTE THE BAND

 そのギターのテクは、リッチーをしのぐものがあるのは聴いた誰もが一聴してわかるだろう。

 そのテクのみならず、曲を作る能力の高さにも瞠目すべきものがあった。

 その音楽性は、バンド結成から3期までのに比べると、異質な感じがするのは否めないし、それまでのファンには遠ざけられた感があったのは否めないが、私は虚心坦懐に聴いてみて「良い!」と思える要素があるならそれでいいと思うのだ。

 そんな「良い!」と思える要素が満載だったのだ。


◆その詳しい内容のblogページは以下。
  ↓
http://eurokennes.blog60.fc2.com/blog-entry-119.html


 そんなトミーとデヴィッドがバンドを組むとわかれば、世界中のロックファンは最大限に注目していたのではないだろうか?

 しかし、トミーの死を受けて、バンド結成には事が運ばなかったのだ。

 しかし、トミーが死ななかったら、それ以降のハードロックの歴史は大きく変わったものになっただろう。

 トミーの死を心から私は悼むのである。


 そのトミーと作るはずだったバンドであるWHITESNAKEは、78年にデビュー作SNAKEBITEを発表する。

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SNAKEBITE

 DEEP PURPLEアメリカイギリスはもちろん世界中で売れに売れたバンドである。

 そのシンガーであったデヴィッドのバンドともなれば、当然レコード会社が飛びついたに違いない。

 レコード会社のプッシュもあって、このデビュー作は8曲しか収録されていないのに、3つものクリップを制作している。

 
 それを以下、観ていこうと思う。



●”Come On “
  ↓



http://youtu.be/WLHU7zPid24


 この曲こそが、デビューから80年までのこのバンドのコンサートでオープニングを飾っていた曲である。

 そのオープニングの模様は、初期のライヴ音源を集めたLIVE…IN THE HEART OF THE CITYというアルバムでも堪能できる曲である。

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LIVE…IN THE HEART OF THE CITY

 シンプルでさわやかなブルーズをベースにした、心晴れる出来になっている。

 コード進行の気軽に弾ける安易さがファンを惹きつける要因になっている。


 87年以降の緊張感あふれるオープニングに比べるべくもないが、興奮は抑えきれないほどに高まる佳曲である。

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 あれほどの人気を日本でも獲得したDEEP PURPLEであるが、その人気バンドのシンガーという枕詞をもってすればこのアルバムは日本でもリリースされても全然おかしくはないが、なぜかこのアルバムは未発売である。

 87年のアルバムの大ヒット後も何故か、このアルバムは日本では未発売である。

 当然ながら私も輸入盤を扱っている店に行ってこのアルバムを購入した。

 初期にも当然来日公演はしたし、この曲がオープニングに起用された。

 ファンは、どんな感慨でいたのか想像しにくい。

 今のようにインターネットもなく、ましてや輸入盤屋など東京近辺の都市だけに、しかも少数だけあったのである。

 その特権に享受できた人だけが、この原曲を聴くことが出来たのである。


●”Ain’t No Love In The Heart Of The City
  ↓



http://youtu.be/9-0AiRqvpMw


 この曲は、初期のこのバンドの時代から今にいたるまで、このバンドが永年にわたってプレイしてきた唯一の曲である。

 だが、この曲はこのバンドオリジナルの曲ではない。

 ボビーブランドというブルーズシンガーのカバーである。

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ボビーブランド

 デヴィッドが78年に、この曲をニューカッスルという場所で目を閉じて歌唱していた。

 その時、何かが起こっている雰囲気がして、目を開けた。

 すると、観衆がこの曲を一斉に歌唱しているのがわかり、そのまま立ち尽くしたままその合唱を聴いていた。

 こんな経験はしたことがないらしく、その経験がもとにこれ以降、このバンドのセットリストに組み込まれることになったという。

 私は興味がてら、この原曲をYoutubeで聴いてみた。

 すると、この曲を歌っているボビーブランドの曲自体が、初期WHITESNAKEの音楽性に非常に大きな影響を与えているのがわかる。

 この人の影響なくしてデヴィッドカヴァーデールの音楽性は語れないな、と思ったのである。

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 興味がわいた人は是非ともボビーのアルバムを買って聴く必要があるだろう。

 しかし、繰り返すがこの『SNAKEBITE』アルバムは日本では未発売である。

 しかしこれから先もWHITESNAKEはこの曲を演奏し続けることは間違いないだろう。

 その曲を聴いておきたい人はこのアルバムを買う必要があるだろう。

 ボビーブランドのアルバムも当然である。

 ボビーブランドのオリジナル曲が収められている彼のアルバムはコチラ!
  ↓



Greatest Hits 2


●”Bloody Mary
  ↓



http://youtu.be/jsxI6Jhqk2U

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この曲の日本盤限定のシングルLPのジャケット!



 初期WHITESNAKEには、こういった酒場(バー)でわいわい楽しめるような感じのチューンがよくあるのである。

 この曲名もまさしくブラッディマリーというカクテルの名である。


 こういったアップテンポのホップ的な感じはまさしくブリティッシュという感じを与える。

 ヘヴィなリフを展開するわけでもなく、聴き耳をそばだてさせるような速弾きのギターソロがあるわけではないが、酒を酌み交わしながらBGMとして流すことによって、聴いている側は、より一層酒を愉しむことが出来る。

 そんな楽しみ方にぴったりな曲も初期WHITESNAKEにはある。

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 しかし、のちに出ることになる『COME AN’ GET IT』アルバム収録の”Wine,Women An’ Song”にメロディも、出だしもそっくりである。

 このアルバム収録の”Steal Awayという曲も、のちのアルバム『LOVE HUNTER』収録の”Sweat Talker”にそっくりである。

 このようにブリティッシュバンドは似たような曲がバンド内であるのである。

 当然と言えば当然かもしれない。

 コード進行がブリティッシュの基本であるから、似たような曲も当然生まれやすいのである。

 THUNDERの初来日に備えて、デビューアルバムを聴きこむ際に、同じような曲があったので曲名を覚えるのに苦労した覚えがある。

 その他、他の曲とは違って、分厚いギター音に合わせて曲がジャズのように進行する”Keep On Give Me Love”“Blindman”のようにとことん心の慟哭を歌う寂しげな”Only My Soul”など87年代後半から今のWHITESNAKEにはない魅力を堪能できる曲がちりばめられている。


 このような、曲風のソングを聴いていると想起されるのはやはり90年にデビューしたQUIREBOYSであろう。

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  QUIREBOYS

 こういった曲が、彼らの曲のメインの魅力である。

 彼らのデビューアルバムは、全英で2位にまで上がった。

 そして、同じ年にデビューしたTHUNDERもセカンドアルバムが全英2位にまで上昇したのである。

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 バーで酒を飲みながら聴いたらさらに旨くなる…そんな曲の魅力を有していたバンドではあった。

 この90年という年は、ブリティッシュロックの新世代的なバンドが待ち望まれていた年であった。

 それまで、ロックを牽引してきたブリティッシュロックにおいて、その頃は英国産のそういったバンドが不在で、『MONSTERS OF ROCKにおいて出場するバンドも、ヘッドライナーを務めるバンドも、ほとんどがアメリカのバンドに占領され続けていたからだ。

 その期待に応え、THUNDERQUIREBOYSも初期は健闘した。

 しかし、92年から始まったハードロックヘヴィメタルにおけるヘヴィ化ダーク化の波のせいなのか、そういったいつまでもブリティッシュ系のままではいつかリスナーに飽きられてしまうからヘヴィ化をしていかなくてはいけないという宿命のせいなのかはわかりかねるが、両バンドともそういったヘヴィ化をバンドで試みることをしなかった。

 しないまま、旧態依然とした曲作りを続行したがために、シーンから取り残されてしまい、あえなく解散した。

 この両バンドは、再結成をし今もバンドを続行しているが、デビューから今まで全世界での大きなヒットはしていない。

 この両バンドのみならず、NO SWEATJAGGED EDGEといったバンドもブリティッシュ新世代の旗手として期待されたが、実際はそうはならなかった。

 どうしてかヨーロッパのバンドは旧態依然とした音楽性の維持をしがちである。

 とくにイギリスのバンドはそういう感じがするのである。

 自国に誇りを持つ国民が多いのである。

 その理由はこの際不問にしておくが、その気質ゆえに、大幅な音楽性の変化はしなかった。

 それがゆえに、今の結果である。

 THUNDERMONSTERS OF ROCK 90に参戦し、その時MONSTERS OF ROCK 史上最高のオープニングアクト」と評され、レポーターには「レコード会社が売り方を間違えなければ、いつでもWHITESNAKEの代わりをつとめれるだろう。」などとも書かれたものである。

 しかし、実際はそうはならなかった。

 WHITESNAKEはデビューより9年目にして全世界で大ヒットするアルバムを出した。

コピー ~ GetAttachment[1]
  WHITESNAKE 87

 しかし、THUNDERもQUIREBOYSも9年経てど、20年以上経てどそんなヒットは記録していない。

 なぜWHITESNAKEが大ヒットを飛ばすことが出来たか?

 言うまでもない、大幅な音楽性のチェンジである。

 そういった試みをしなくてはどうしてもファンは離れてしまう、飽きてしまうものである。

 何故なら人はアクの強いものにハマるからだ。

 いつまでも音の薄い音楽では物足りなく思ってしまうものなのである。

 だが、そのことについてとやかく言うまい。

 ヘヴィ化しなかったのは、本人たちのしたくなかったことであるし、したくないことを無理やりしてもそれは不本意というもので、その不本意の事をしても意味がないことなのかもしれない。

 しかし、興味がてら1度へヴィなアルバムを作ってみることもしたらよかったかもしれない。

 それでヒットをして、それに味をしめたら、THUNDERQUIREBOYSの歴史は変わったものになったかもしれない。

 WHITESNAKEはもとより、JUDAS PRIESTも英国産のバンドである。

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 この両者は、旧態依然とした音作りではなく、大幅なイメージチェンジをおこなってファンを獲得してきたのである。

 ことにJUDAS PRIESTのチェンジの仕方は、WHITESNAKEのそれよりはるかにふり幅が大きい。

 それによってマスコミから賛否両論が巻き起こっていたが、どの作品ものちになって称賛されることになっていったのだ。

 結果としてその試みは正しかったということである。

 やはり既存の思考の殻を破って新しい試みをすることの重要性は、音楽シーンにおいては不可欠であろう。

 そのことはこのバンドの歴史が教えてくれている。

 その試みがファン獲得において重要であると同時に、生き残りにおいても重要なのはわかるであろう。

 その両者は、2000年以降共演する機会によく恵まれていた。

 しかし、下の写真にあるように、WHITESNAKEが後塵を拝することのほうが多いようである。

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しかし何故?とWHITESNAKEびいきの私でなくとも思う人はいないのであろうか?

 両者とも市場を本国よりもアメリカを中心にしてきたが、WHITESNAKEWHITESNAKEアルバムを全米だけで今までに1000万枚売ったのである。

白蛇の紋章
WHITESNAKE

 しかし、JUDAS PRIESTは全米での最高がSCREAM FOR VENGEANCEアルバムで200万枚である。

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SCREAM FOR VENGEANCE


 どうしても納得できないのである。

 やはり、WHITESNAKEはそのアルバムの前後のアルバムがアメリカでヒットしただけで、初期やその後では、恒常的なヒットをしていなかったからなのだろうか?

 少ないアルバム数での大ヒットよりも、恒常的にプラチナ前後のヒットを続けた方が、根強いファンを獲得できるのだろうか?

 よくわからないのである。

 話しが大幅にづれてしまったが、このように87年以降のヘヴィなWHITESNAKEだけでなく、音の薄く、魅惑的な速弾きのギターソロもないが、ポップで気楽に楽しめるバンドの時代の音楽があったのである。

 正直に書くと、このころよりも87年以降のこのバンドのほうが断然好きである。


 でも初期の音楽は、たまに聴き、それなりに楽しむことはできるのである。


 以上のクリップを観て、このblog文を読んでアルバムが欲しくなったら、以下よりどうぞ!
  ↓



Snakebite

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「今のWHITESNAKEにはない魅力があるデビュー作です💛」


WHITESNAKE初期のベストチューンを集めたベストアルバムはコチラ。
  ↓



Early Years


◆<関連記事>
⇒『WHITESNAKEの大変異』=『WHITESNAKE 87’』アルバム

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